私がプラチナリボンを開発した理由

私はある日突然、親の介護に直面しました。
介護とはそういうものだとは聞いていましたが、まさか自分がそうなろうとは……。
後悔先に立たずで、とりあえずはケアマネージャーさんにいろいろ相談したい。ところが……ケアマネージャーさんと連絡がつかない。こちらは会議中、先方は介護中。結局ケアマネージャーさんと連絡がつくまでに丸二日かかりました。日頃、メールやLINE、SNSなどでのコミュニケーションに馴染んでいる私にとって、これがまず途方に暮れることでした。

さらにケアマネージャーさんからのコメントを家族と相談して次にコマを進めるにあたっても同様の繰り返し。
もう仕事どころではありません。自宅に戻っては、親の状況を正確に記録しておこうと思うものの、Excelでは何とも事務的すぎて手が進みません。親の介護は「業務」ではないのです。仕方なくノートに手書きで記録。すると今度は、それでは兄と共有できないのです。アナログで情報を管理する煩わしさに何年かぶりに遭遇して、ため息つくこと、しきり……

さらに呆然としたことは、日常の、たとえば「今晩美味しいイタリアン食べたい」などの他愛ないテーマでも、私達はほとんど無意識のうちに情報を共有しアドバイスをもらい、美味しかったら写真をアップして「いいね!」をもらい感情の共有をしています。しかし介護はよっぽど重大で命にも関わる問題にもかかわらず情報共有や問題解決の手段がないために、自分達が孤立していることに気がついたのです。介護の素人である“私達が”です。しかも主に介護している私一人の双肩に重くのしかかっているのです。

以前、日本の家庭にはどこでもおじいちゃん、おばあちゃんがいて、当たり前のように家族みんなで高齢者の暮らしをお手伝いしていました。その頃は「介護」という意識すらない日常の暮らしの中のひとつのシーンだったのだと思います。今や核家族化で家族が離れて暮らし、しかも母親もふくめて仕事に追われる毎日を過ごしています。高齢者のリアリティもなく「介護」は特別の重荷になってしまいました。しかしあの震災を経て、私達にはまだ家族を思う心や家族を大切にしたいという心があることを知りました。

現代の社会で、離れて暮らす家族、忙しい日々を過ごす家族が後悔しない介護をするために何かできることはないだろうか? 家族を結びつけ、暮らしのなかの介護のハードルを下げて、「暮らすように介護する」ためにできることは?
そこで私達は永年のIT業界での経験を活かしてアプリケーションを開発することにしました。

まずは介護の現場の理解を深めるために資格を取ってデイサービスでアルバイトをし、そこで多くの事を学びました。なかなかご本人や家族の考えを伝える接点がないことを目の当たりにし、「私の思い」というタブを作りました。
プラチナリボンはスマホやタブレットなどを使いながらコミュニケーションの課題を解決することで家族を繋ぎ、介護職とも連携しながら家族を介護している介護者を支援するアプリケーションです。

2015年1月、現状の介護の現場でのスマホの利用率は低く、ケアマネージャーさんのITリテラシーも十分なレベルとは言えない状況で、「プラチナリボンの事業はちょっと難しいんじゃない?」と多くの方から指摘をうけています。そうかもしれません。しかし、それでもこのツールを使うことで介護に楽しく向き合い、あるいは仕事をしながら家族と心を通わせて介護ができるようになる方が少なからずいらっしゃると確信しています

家族が主体的に介護に向き合い、そして地域とも連携してより良い高齢化社会をつくりあげていく……未来に向かってプラチナリボンが少しでもご支援をできればと願っています